北野 お土居
 
秀吉が京都の町を防御するため、天正19年(1591)わずか2〜3ヶ月の工期で洛中の周囲に
延長22.5キロメートルにわたり築いた土塁です。

今では殆どお土居は姿を消しましたが、ここ北野天満宮
の境内西側に紙屋川に沿ってその姿が残され、梅花の時期には一般公開されます。

お土居の所々に街道に通じる口が設けられ、
今も粟田口、荒神口、丹波口などの地名として残っています。