源光庵 伏見城血天井

本堂の天井は伏見城の血天井として知られています。
慶長5年(1600)7月関が原へ攻め上る石田三成の西軍九万余は、
伏見城に立てこもる東軍鳥居元忠以下千八百の軍勢に総攻撃を加え、
徳川勢の防戦むなしく城は破られ、最後に残った元忠以下380余名は全員自刃します
今も天井にはそのときの兵士の血痕が残り、痛ましい血の手形までくっきりと見られます。
京都にはこの他、養源院、正伝寺、宝泉院、宇治の興聖寺などに血天井があります。