千年の姫小松()と汀の桜()

 文治2年(1186)4月、後白河法皇が建礼門院を訪ねられる場面は、
平家物語最後の章「潅頂の巻」に大原御幸として記されています。

突然の御幸で、女院は向かいの翠黛山へ花摘みに出られており、
法皇はこの池のほとりで女院のお帰りを待つ間、
「池水に汀の桜散り布きて 浪の花こそ盛りなりけり」と詠み、
女院の宮中での華やかな生活と打って変わった今の質素なご様子に涙されるのでした。

写真左の姫小松は、平成12年の火災に遭って平成16年の夏に枯れてしまいました。