建礼門院大原西陵参道

 建礼門院徳子は平清盛の二女として生まれ、後白河法皇の猶子として高倉天皇の中宮となり
安徳天皇を生みます。

しかし、木曽義仲の挙兵により平家一門は安徳天皇を奉じて西国へ落ち、
文治元年
3月、壇ノ浦で義経に追われて安徳帝とともに入水されますが、建礼門院だけが助けられます。
その後、都へ帰り円山長楽寺で落飾し尼となり、
9月に寂光院へ隠棲されました。

建久元年(121312月寂光院で59歳のとき亡くなったとされていますが、
建礼門院の死についてはその他諸説あります。

    思ひきや深山の奥に栖まひして雲居の月を他所に見んとは     徳子