小谷城址より西方山本山、竹生島を望む

 天下統一の意思を表明した信長は、永禄11年(1568)長政とお市の婚姻でもって浅井家との同盟を結びます。
しかし、信長は浅井氏との約束に反し朝倉氏を攻めたため、
朝倉との縁の深い浅井は信長に敵対することになります。
元亀元年(1570)6月28日、姉川を挟んで織田、徳川軍と浅井、朝倉軍が対峙し、
信長は優勢の内に一旦引き上げます。
そして再び矛を交えた元亀4年、写真の正面湖畔にこんもりと見える
山本山の城主阿閉貞征(あつじさだゆき)が信長に降り、拠点を破られた小谷城は落城します。
山本山城の右は賤ヶ岳に続き、左湖中には小さく竹生島も眺められます。