本丸より大広間を下に見る 
        
 今城址には所々に土塁や石垣、井戸などが姿をとどめるのみで、往時をしのぶ建物は何も残されていません。
一段高い場所が本丸跡で、城主長政は落城寸前までここに居住していました。
彦根城西の丸の三重櫓は元小谷城の天守であったと伝えられていますが、確かなことは分かっていません。
下に見える緑の広場は千畳敷きともいわれる建物があった大広間跡で、
江は落城の年にこの御殿で生まれたと思われます。
祖父久政、父長政が自刃し、夜陰にまぎれてこの山中を立ち退く
母お市と三姉妹の姿が目に浮かんでくるようです。