厭離庵の庭園

いつもは門が閉じられ非公開である厭離庵も、紅葉の季節11月だけは特別公開されます。
ここは藤原定家が小倉百人一首を編纂した山荘「時雨亭」の跡と伝えられ、
江戸中期に冷泉家によって修復され臨済宗のお寺厭離庵となりました。

その後荒廃していたのを明治になって白木屋社長大村彦太郎が仏堂、庫裡を寄進し、
大正12年現在の茶室「時雨亭」も建てられました。 
境内には定家が百人一首を色紙に染筆した時用いた「柳の井」や定家塚が残されています。 
定家の山荘「時雨亭」は、この他二尊院の地や、常寂光寺の地にもあったとして諸説伝えられています。