文殊の塔  会津殉難者の墓地  
 
    日本三大文殊のひとつに数えられる文殊の塔には徳川秀忠も祀られています。

   塔の前を左に折れて墓地の間をしばらく進むと、会津藩殉難者墓地があります。
   風雲急を告げる幕末、松平容保は京都守護職に任じられ金戒光明寺に本陣を置きます。
   復元された方丈には、容保と近藤勇の謁見の間も残されています。

   鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍は、賊軍の汚名を着せられ、戦死者の遺体も市中に放置されたままの状態でしたが、
会津藩に出入りしていた侠客会津小鉄が官軍の目を恐れず遺体を回収してここに葬りました。
塔頭西雲院には会津小鉄の墓もあります。

            会津殉難者の墓地