大溝城本丸跡

大溝城は乙女ヶ池を外堀とし、池のそばの小さな森かげに
本丸跡の石垣が残されています。

天正6年(1578)信長は甥の織田信澄を初代城主とし、この地に明智光秀縄張りによる水城を築きました。
しかし、天正10年「本能寺の変」が起こると、信澄は光秀の娘を正妻としていたため、
織田信孝、丹羽長秀らによって襲撃を受け、大阪城で自害しています。

天正13年には京極高次が城主となり、ここでお江の姉お初と結婚し、新婚生活を送っています。
元和元年(1615)一国一城の令が発せられると、廃城となり建物は水口岡山城へと移されました。

大溝城天主台跡