細川ガラシャ隠棲地の碑

味土野は丹後半島の山中深く、今は民家も僅か3戸ばかりという幽邃の地です。
昭和10年になってここが細川ガラシャ幽閉の地と認定され、翌年この碑が建立されました。

明智光秀の次女として生まれた玉子は、永禄6年(1563)細川忠興のもとへ16歳で嫁ぎます。
天正10年(1582)6月の本能寺の変で光秀は信長に謀反し、忠興を味方に誘います。
しかし、藤孝、忠興父子は光秀に従わず、秀吉に味方し 
敵の娘である玉子を、密かにこの地で2年間幽閉しました。

その後復縁を許された玉子ですが、関ヶ原の戦いの時西軍石田三成に人質にされようとして、
大坂の屋敷で壮絶な最期を遂げています。
屋敷跡には光秀の家紋である桔梗の花が咲いていました 

  桔梗咲く 細川ガラシャ屋敷跡