勝林院 大原問答

文治2年(1186)秋、天台座主顕真は浄土宗祖の法然を招き、
大原勝林院で他の学僧達と「念仏によって極楽往生できるか」との課題で問答をさせました。

これまでは「修行と功徳を積んで初めて悟りが得られる」とした仏教の教えに対し、
法然はただひたすら阿弥陀仏を念じて名号を称えればだれでも救われると主張し、
一日一夜の論争を経て皆を説き伏せました。

この時勝林院の阿弥陀如来は手から光明を放って法然の論を支持され、
今も証拠の阿弥陀と呼ばれています。

また法然の弟子熊谷蓮生坊は、もし法然が論争に敗れたときには、
鉈を持って相手の学僧に切り込もうとして法然に諌められ、鉈を投げ捨てた藪跡があります。



熊谷鉈捨藪跡