平清盛(左)と阿古屋(右)の供養塔
 

 阿古屋塚の左奥が清盛塚です。
この六波羅の地は、昔平氏一門の屋敷3,200余りが二町四方に甍を並べ、
清盛全盛のころには、楼閣、庭園などこの辺りは豪華を極めました。

しかし、寿永2年(1183)平氏の都落ちとともに、これらの屋敷も源氏の軍勢に焼かれ、
今は、清盛、頼盛、教盛3兄弟の名を残す三盛町や、
池殿町、門脇町など平氏ゆかりの名を町名留めるばかりです。

その後、鎌倉幕府は六波羅探題をここに置きましたが、
元弘3年(1333)足利尊氏の攻撃によってはかなく姿を消します。
今境内には、それらの跡を記す石碑があります。

宝物館には、幾多の戦火を免れ伝えられてきた清盛像や空也上人像を始め、
平安、鎌倉の木造彫刻の名品が納められています。

       

清盛像(左)と空也像(右)案内掲示板の写真     平氏六波羅第・六波羅探題府の碑