三栖閘門

 江戸時代の宿場町伏見は、日本一の河川港として栄え、
伏見京橋と大坂を結ぶ三十石船を始め、伏見船、
 淀船、高瀬船など1000艘余りの船で賑わいました。

 大正6年伏見の町は宇治川の決壊により洪水に見舞われました。
その対策として宇治川の堤防改修工事が行われたため、
港のある濠川と淀川の水位に差が生じ船の運航ができなくなりました。

昭和4年三栖閘門が造られ、二つの閘門の間で水位を調整することにより、
通航は可能となり年間2万艘以上の船がここを行き来しました。
しかし陸上運送の発達とともに舟運は衰え
、昭和39年天ケ瀬ダムの完成によって閘門もその役割を終えました。

今は観光用十石船の終点となり、当時の操作室は三栖閘門資料館として公開されています。

        三栖閘門 閘室(水量調節プール)と資料館              淀川堤防より望む三栖閘門