高瀬川の流入口

宇治川派流が北へ突き当って右手に大きく曲がるところへ、
真っすぐ流れ込んでいる小川が高瀬川です。

正面に見える小さな公園に角倉了以の記念碑が建っています。
角倉了以は慶長16年(1611)から19年(1614)にかけて高瀬川を開削し、
京都と伏見の間11kmを船で結びました。
しかし、高瀬川も大正9年にその舟運としての歴史を閉じました。

今、二条の一之舟入から木屋町に沿って流れる高瀬川は、
十条の辺りまで来ると昭和10年の鴨川の改修によって分断され、
鴨川以東ではささやかな小川となって伏見に注いでいます。  



 角倉了以記念碑                      溝川のような旧高瀬川