鳥羽浄禅寺

 後白河天皇は深くこの六地蔵をご信仰になりました。
保元2年(1157)京の町に疫病が流行ったとき清盛に勅命し、
都への街道の入り口6ケ所に六角堂を建て、
篁の刻んだ6体の地蔵菩薩を1体ずつ分けて祀りました。

伏見六地蔵は奈良街道、そして鳥羽浄禅寺は西国街道の守りとされ、
王城守護、厄病退散、旅人の道中安全などの役割を果たしています。

また庶民もこの両日に、六地蔵を廻るという風習は室町の頃から行われ、
一般的な参拝の順番は伏見大善寺を一番として、
時計回りに京都の郊外を廻り、山科徳林庵が最後となるようです。 

夜には無形文化財の念仏六斎が奉納されます。

                        鳥羽地蔵                          浄禅寺山門