浄禅寺 恋塚

 浄禅寺は、文覚上人が袈裟御前の墓(恋塚)を
お守りするために建てた庵に始まるともいわれており、門前に恋塚があります。

鎌倉時代、鳥羽に離宮のあった頃、
北面の武士遠藤武者盛遠は源渡の妻袈裟御前を恋し、激しく迫ります。
盛遠は袈裟の母までも脅し、たまりかねた袈裟は盛遠に、
今宵夫の寝室に忍び込み、まづ夫を亡き者にして下されば貴方のものになりましょうと約束します。

その夜盛遠が渡の寝室へ忍び込み、寝首を取ってよく見れば、
夫への貞節を貫き身代わりとなった袈裟の変わり果てた姿でした。

無常を感じ、罪を悔いた盛遠は、後に出家して神護寺に入り文覚上人となります。

浄禅寺から2kmほど南、下鳥羽の恋塚寺にも、もう1ヶ所袈裟御前の墓があります。 

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