鞍馬寺 牛若丸背比べ石

牛若丸が生まれた年に平治の乱(1159年)が起こり、
父義朝は殺され、母常盤は捕らえられます。

牛若丸は7歳の時、鞍馬寺の東光坊阿闍梨蓮忍に預けられ、
遮那王と名乗ります。
由岐神社の近く、今義経供養塔のある辺りに牛若丸の住まいした東光坊がありました。
仏門に帰依した牛若丸ですが、密かに源氏再興を決意し、
毎夜奥の院まで木の根道をたどり、烏天狗から剣術を学びました。
今も山中には義経息継ぎの井があり、清水が湧いています。

10年間の修業を終えた牛若丸は、やがて奥州平泉の藤原氏を訪ねて旅立ちます。
この時名残を惜しんで背比べをしたのがこの岩です。
義経は小柄だったといわれますが、岩は高さ120Cmほどしかありません。

遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なほ明日を待つかな  寛
何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな  晶子

                        木の根道                           与謝野寛 晶子歌碑