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永源寺ダムから木地師の里へ

 紅葉で賑わう永源寺を過ぎて、八風街道をさらに奥へ進むと
左手に永源寺ダムが広がります。
その先政所で国道と別れて、山峡の細い道を車で約15分余り走り
惟喬(これたか)親王御陵に着きます。

御陵といっても知らなければ通り過ぎるような場所で
、石の鳥居の奥に惟喬親王の銅像、
そして,ささやかな石の柵に囲まれて親王の石塔があります。

平安時代、惟喬親王は文徳天皇の第1皇子として、
紀氏の娘・静子を母に生まれました。
しかし、第4皇子惟仁(これひと)が生まれると、
母は摂政関白藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)であり、
良房の権力によって皇太子には生後9ケ月の弟宮・惟仁親王に定められました。
後の清和天皇です。

惟喬親王は皇位継承の混乱を避け、
15歳の時失意のうちに都を離れて、この地に幽棲されます。

                       惟喬親王像                            惟喬親王御陵

              
    
惟喬親王御陵入口                         木地師街道 案内札