清凉寺

 佐和山への登り口に、「井伊大老旧跡 参禅道場」と書かれた
石碑の建つ曹洞宗の清凉寺があります。

関ヶ原の軍功により、慶長6年18万石を得て近江佐和山城へ入った
初代井伊直政は、関ヶ原の鉄砲傷がもとで翌年に亡くなります。

2代目直孝は父直政の菩提を弔うために、この清凉寺を建てました。
清凉寺には直政初め、井伊家歴代藩主の墓があり、若き日の直弼もここで参禅しています。

この辺り元は島左近の屋敷跡であり、当時からある樹齢500年のタブの木も残されています。

また清凉寺七不思議では、
落城の折死者の血が流れ込んだ墓地の池には、今でも血みどろの女の顔が映るとか。
井伊家で戦利品の武具などを虫干すると、
佐和山に怪しげな黒雲が現れるなど恨みの籠った数々の伝承があります。

近くの井伊神社には、井伊家の始祖である共保と、初代直政、2代直孝が祀られています。

                   清凉寺 禅堂の紅梅                           本尊 釈迦如来     

          

                       井伊神社                             井伊神社 本殿彫刻