義仲寺 

 芭蕉は義仲寺無名庵にたびたび住まいし、
彼の遺言により墓地もここに定められました。

義仲寺は木曽義仲の墓所です。
寿永3年(1184)1月20日源範頼、義経の軍勢に追われた義仲は粟津ヶ原で討たれました。
その後、一人の女性が近くに草庵を結び、義仲の菩提を弔う姿が見られましたが、
名前は明かさず、その庵は無名庵と呼ばれるようになりました。
境内には義仲とその愛妾であり、無名庵の尼としても伝えられる巴御前の墓があります。

「古池や蛙飛びこむ水の音」の芭蕉の句を初め19の句碑が見られます。
曲翠は膳所藩の重臣でありましたが、
家老曾我厳太夫の専横な振る舞いに怒り、
槍で刺し殺し自分も自害しています。

伊勢の又玄は「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠んでいます。



木曽義仲墓                             巴御前墓

              

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉                           菅沼曲翠墓