義仲寺 翁庵

 境内の奥にある茅葺の翁堂には、
正面に芭蕉の座像、その左右に丈草、去来の木像が安置されています。

元禄7年(1694)、最後の湖南での夏を過ごした芭蕉は、
7月いったん郷里伊賀へ帰り、9月に大坂へ入ります。
しかし、ここで病を得て、10月12日御堂筋花屋仁左衛門宅で亡くなりました。
遺体は翌日膳所へ運ばれ、この地に葬られます。

 義仲寺から少し離れた、JR膳所駅の南、
国道1号線沿いに「龍ヶ岡俳人墓地」があります。

ここは義仲寺の寺領で、内藤丈草は芭蕉の没後師の菩提を弔い、
一石に一字ずつ法華経を書いて経塚を建てました。
経塚の周りには、丈草を初め芭蕉門人たち17名の墓が並び、
句会が開かれているかのような風情です。
この辺りには丈草の草庵、仏幻庵もありました。

        芭蕉墓                 芭蕉辞世の句   旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

            

龍岡俳人墓地                 内藤丈草を初め、俳人たちの墓が並ぶ