法界寺 

 地下鉄東西線を石田駅で降りて東へ1キロ余り、
日野の里に乳薬師として親しまれている法界寺があります。

ささやかな山門を入ると、正面に藤原時代の国宝建造物、桧皮葺の阿弥陀堂があります。
堂内の丈六阿弥陀如来は、定朝様式の豊麗円満なお姿で
やはり藤原期を代表する国宝の仏様です。

昔この辺りは、藤原北家の流れをくむ日野家の別荘があり、
永承6年(1051)日野資業(すけなり)は薬師如来を本尊として法界寺を建立しました。

翌永承7年には、釈迦の正しい教えが伝えられなくなる末法の世を迎えると信じられ、
人々は阿弥陀如来に救いを求め、
往時はこのお寺だけで5体の大きな丈六の阿弥陀如来が祀られていました。

この年に藤原頼通は、宇治の平等院に阿弥陀堂(鳳凰堂)を建てています。

足利将軍家は3代義満から11代義澄に至るまで6人の正室を日野家から迎えています。
特に8代義政の正室富子は応仁の乱の一因をなし、
話題多い女性として歴史に名を残しています。


 山門                                 池の向こうに阿弥陀堂   

            

左阿弥陀堂 右薬師堂                           左阿弥陀堂 右薬師堂