容保桜 京都府庁

文久3年(1863)現在の京都府庁の場所に、
広さ約3万坪の京都守護職屋敷が設けられました。
今府庁の正門を入るとすぐ右手、木立の陰に京都守護職跡の碑が立っています。

先年京都府庁中庭の桜を、
16代佐野藤衛門氏は会津藩ゆかりの地に因み「容保桜」と命名しました。

文久3年8月18日、会津藩は薩摩藩とともに、
三条実美ら過激派公卿と結ぶ長州勢を京都から追放します。
これが発端となって復権を目指す長州藩や勤王の志士達の動きが激しくなり、
慶喜や容保を暗殺しようとした池田屋事件が起こります。

この時は新撰組の活躍により未然に防がれ、
孝明天皇から「朕の頼りになるのは容保だけである」
との信頼を得ています。

京都守護職屋敷廃止後は、明治2年京都府庁となりました。
京都守護職屋敷の門は、京都国際ホテルの東門や
岡崎武徳殿の南門として今も残されています。

              京都守護職屋敷跡碑                        京都府庁 旧本館

                          
     

 旧守護職屋敷正門 京都国際ホテル                  旧守護職屋敷門 武徳殿