蛤御門

御所の西側にある蛤御門は、元新在家門と呼ばれ開かれたことのない門でした。
宝永5年(1708)の大火の時避難民を救うために初めて開門され、
焼けて口開く蛤御門と言われるようになりました。

元治元年(1864)7月19日、ここで長州藩と御所を守る会津、薩摩、桑名藩の間で激しい戦いがあり、
「蛤御門の変」あるいは「禁門の変」と呼ばれています。

門を入ってすぐ奥に樹齢300年の古木「清水谷家の椋」があります。
ここで長州藩の遊撃隊長来島又兵衛が薩摩藩の射撃を受け討ち死にし、
長州軍は総崩れとなりました。
門には当時の鉄砲傷らしきものが残され、当時の砲撃戦の様子がしのばれます。

御所の正面、建礼門の少し南に銀杏の巨木があり、
小高く土盛された所に凝華洞跡の碑が立っています。
凝華洞は病を押して出陣した容保に、朝廷が配慮して与えた仮本陣の跡です。

            蛤御門柱の 鉄砲傷跡らしきもの                 清水谷家の椋 奥は蛤御門    
駒札には梁に弾痕ありと記されています                                   

          

凝華洞跡                                建礼門