坂上田村麻呂伝説

清水寺三重塔から本堂へ向かう轟門の左手前に、田村堂ともいわれる開山堂があります。

平安時代、坂上田村麻呂は、妻の安産体力維持のために東山へ鹿の狩猟に出掛けます。
音羽の滝のほとりに草庵を結び修行中の延鎮に出会います。
田村麻呂は延鎮が殺生を戒め、観音のご利益を説く姿に深く帰依し、
観音像を造り、殿舎を寄進してここに清水寺を創建します。

やがて征夷大将軍に任じられた田村麻呂は蝦夷征伐に陸奥の国へ向かいます。
蝦夷の首領アテルイ、副将モレは降伏し京都へ連行されました。
将軍は二人の助命を朝廷に嘆願しますが、受け入れられず河内の国で処刑されます。
近年清水寺境内に両雄の奮闘をたたえ顕彰碑が建立されました。

田村堂は非公開ですが、堂内には田村麻呂公と高子夫人の座像が安置されています。
現在の田村堂は、寛永年間(1631〜33)に再建されたもので重要文化財に指定されています。

田村堂                              音羽の滝

          

田村麻呂公座像 (清水寺パンフより)              アテルイとモレの碑