琵琶湖疏水

琵琶湖の三保が崎から取り入れた疏水の水は、
東山のトンネルを抜けて蹴上船溜まりに至ります。
疏水は明治18年から工事に着手し、23年に竣工しました。

大津から京都、そして伏見へと結ぶ舟運、
明治24年日本で最初、世界でも2番目に造られた発電所、
さらには上水道、灌漑、防火と明治の近代化、産業振興に大きな役割を果たしてきました。

この疏水を設計施工したのは、
工科大学(現東大)で卒論に「琵琶湖疏水計画」をまとめた若干23歳の田辺朔郎でした。
舟溜りのそばの公園には、田辺朔郎博士の像と顕彰碑が建っています。

第1疏水は三保が崎、蹴上間が8.7km、
さらに伏見への鴨川沿線運河、北へ延びる支線を合わせると28.7kmになります。
明治45年には第2疏水7.4kmが増設されています。

インクラインは上の舟溜りと下の疏水との高低差36mを結ぶ舟のケーブルカーです。
昭和23年に廃止され、桜並木に囲まれた延長582mの線路と台車は今も保存されています

 田辺朔郎像と顕彰碑                        インクラインと和船

          

インクライン台車                            インクライン桜並木