義経大日如来と疏水工事殉難者碑 

公園の一角に疏水工事殉難者の碑があり、その奥の小さな祠の中に石仏があります。
石仏は義経の大日如来と言われ、
安元3年(1177)義経が金売りの吉次に連れられて奥州へ下る途中、
この地まで来て見送りの人々と別れを惜しんでいました。
その時、平家の武士関原与市重治が馬で通りかかり、
水溜りの水を蹴り上げ、義経に泥水をかけたまま通り過ぎようとしたので、
義経は関原ら主従9名をその場で斬り捨てます。

彼らの菩提を弔うため石仏9体を祀りましたが、
その内の一体がこの石仏であると伝えられています。
蹴上の名前もこの故事に由来します。

江戸時代、日向大神宮一の鳥居の辺りは、京都七口のひとつ粟田口で、
弓屋、藤屋、井筒屋などの多くの茶店で賑わっていました。

疏水殉難者の碑は、疏水工事中に亡くなった17名の霊を弔うため、
田辺朔郎が私費を投じて建てたものです。
ここからは京都の北部が眼下に広がり、平安神宮の朱の鳥居が美しく見えています。


 義経大日如来                        日向大神宮一之鳥居 
              

疏水と日向大神宮への橋                      インクライン上からの展望