菅浦

奥琵琶湖ドライブウェイの入口に、白洲正子が隠れ里として愛した菅浦があります。
湖の入り江、背後の山並みに囲まれたささやかな集落、
ここは昭和46年ドライブウェイが出来るまでは、車の道もなく全くの陸の孤島でした。

菅浦は中世において村民が主体となった自治組織を形成し、
その歴史を記した菅浦文書は
重要文化財に指定されています。
村の入口には四足門が作られ、外来者は厳しく監視されてきました。

村の須賀神社には、47代淳仁天皇が祀られ、本殿の後の塚は天皇の御陵と伝えられています。
恵美押勝は淳仁天皇を擁して、道鏡や孝謙上皇と争い近江高島の地で敗れます。
押勝は殺され、戦乱には加わらなかった淳仁天皇ですが淡路に流されて崩御されました。

しかし、菅浦では天皇は密かにこの地に匿われ、崩御されたと伝えられています。
神社の参道、石段手前にはスリッパが準備されていて
土足で石段を上がることは禁じられており、
村人の素朴な淳仁天皇への信仰の心を感じます。

 須賀神社 鳥居                          須賀神社 拝殿への石段  

          

 須賀神社参道                              昔の丸子船