新撰組屯所 八木邸

壬生寺を出て少し北へ歩くと、新撰組発祥の地八木邸があります。
表は今も八木家が経営する和菓子屋京都鶴屋の店舗があり、
その奥に文化元年(1806)に建てられた長屋門が見えます。

文久3年(1863)将軍家茂の上洛に対し、
その警護のため清川八郎の建策によって浪士組は江戸で編成されました。

しかし、清川は浪士組を率いて京都へ入ると幕府を裏切り、
新徳禅寺で尊皇攘夷の意思を表明し、すぐに江戸へ引き上げます。
清川らと決別した芹澤鴨、近藤勇ら13名は、
京都守護職松平容保のもとで八木邸に残り、ここに後の新撰組が誕生しました。

やがて、局長芹澤鴨の無謀な振る舞いは、近藤勇らと対立を生み、
芹沢は妾お梅、同志平山五郎とともにここの母屋で土方歳三らによって殺されます。
今も現場となった部屋の鴨居には、そのときの刀傷が残されています。

八木邸 長屋門                            新撰組屯所遺跡の碑  

               

  清川八郎が 尊皇攘夷を宣言した 新徳禅寺            壬生寺 芹澤鴨・平山五郎墓