北白川 子安観音

京都と近江の滋賀里を結ぶ志賀越え古道は、
京七口のひとつ荒神口から始まります。
今は京大本部の敷地で道は遮断され、北で今出川通りを斜めに超える辺りからて再び姿を現わします。

この交差点の北西角に白川の子安観音と呼ばれる大きな石仏があります。
ここは昔の白川村の入り口にあたり、
像高2m、頭部は磨滅激しく江戸時代にに補修されていますが、鎌倉時代の作といわれる石仏で、
山越えに向かう人々の安全をあたたかく見守っています。

昔秀吉はこの石仏が気に入り聚楽第へ持ち帰りましたが、
石仏は夜な夜な帰りたいと泣きわめいたため、元の場所へ戻されたという伝説があります。
頭に花を載せて京の町に花を売りに行く白川女たちは、
毎朝石仏に花を供えて出掛けたといいます。

南東角近くの旧道沿いにも、像高1.4mの大日如来石仏が2体、覆い屋の中に祀られています。
その横に立つ石の道標は、嘉永2年(1849)の作で
「すく ひえいさん 唐崎 坂本」と刻まれています。
「すく」はすぐ近くではなく、真っ直ぐに行けば比叡山という意味です。

北白川子安観音                     志賀への古道と子安観音 

             

北白川 大日如来石仏                   比叡山 唐崎 坂本への道標