賤ヶ岳古戦場

賤ヶ岳山頂には槍を担ぐ七本槍部将の像があります。
織田信長が本能寺の変で明智光秀の謀反に討たれると、
その後継をめぐり柴田勝家と羽柴秀吉が、賤ヶ岳の周辺で合戦を繰り広げました。

天正11年(1583)4月20日 秀吉は大垣で織田信孝と戦っていましたが、
北から迫る柴田軍の佐久間盛政が
羽柴軍中川清秀の守る大岩山砦を破ったとの報せを受けます。
午後4時2万の兵を率いた秀吉は大垣を出発、
50キロの距離を5時間で駆け抜け、午後10時には木之本に到着しました。

21日午前2時、休む間もなく秀吉は本陣を出て賤ヶ岳に向かい、
山頂より眼下の敵に猛射を浴びせ、
七本槍とたたえられる加藤清正、福島正則らの活躍目覚ましく、柴田勢は越前へと落ちて行きます。

23日越前北の庄の城で柴田勝家はお市の方と自刃し、この合戦で秀吉は天下を握りました。
山頂への道には七本槍部将の幟がはためき、
賤ヶ岳合戦の地図や戦没者霊地などの遺跡に合戦の様子がしのばれます。

七本槍古戦場賤ヶ岳碑                           賤ヶ岳古戦場図  

           

七本槍幟                                 合戦戦没者霊地