朽木 旧秀隣寺庭園

京都大原から若狭小浜へ抜ける鯖街道の途中に、
山間の村朽木があります。
佐々木源氏の一族である朽木氏はこの地の領主であり、
室町幕府の近習として奉仕していました。

永正5年(1508)6月、流れ公方として15年間京を離れていた10代前将軍義材は、
大内義興を率いて都に復帰し、京を追われた11代現将軍義澄はこの地に逃げてきております。

12代義晴は、桂川原の戦いで波多野、三好勢に敗れ、
享禄元年(1528)近江坂本を経て朽木稙綱を頼り、この地に3年間滞在しました。

13代義輝も京の戦乱を避け、天文22年(1553)から5年間を朽木で過ごしています。

今に残る庭園は、細川高国が義晴を慰めるために造らせたもので、
比良山系を借景にして、鶴亀の石を配し、池に架かる石橋は楠木の化石です。
風情ある蓬莱池泉式庭園は、国の名勝庭園に指定されています。

江戸時代、安曇川の対岸あった興聖寺が
旧秀隣寺の地に移され、朽木家菩提寺になっています。

旧秀隣寺庭園

          

 興聖寺本堂                                 興聖寺入口