桑の実寺

安土城天主・信長の館から少し山沿いの道を南にたどり、
古い民家の間を山手に延びる道が桑の実寺への参道です。

写真に見える山門まではすぐですが、そこから本堂へは600段余りの石段が続きます。

朽木で3年間を過ごした義晴は、天文元年(1532)桑の実寺の正覚院へ移り、
今度は奉公衆、奉行衆も引き連れて本格的な幕府を開設しました。
3年後、六角氏の調停により細川晴元と和解した義晴は、ようやく京都へ帰ります。

この間に義晴が土佐光茂に命じて描かせた「桑の実寺縁起絵巻」は
重要文化財として寺に残されています。

桑の実寺では永禄11年(1568)9月、信長は15代義昭をここで迎えて上洛を果たしました。
お寺の境内からさらに山道を登ると、六角氏の居城であった観音寺城址に出ます。

石段の途中からは遠く近江八幡にある岡山水茎城が望めます。
このお城で11代義澄は27歳で病没し、12代義晴は義澄の子として誕生しました。

 桑の実寺参道                    桑の実寺境内 右本堂  

             

桑の実寺石垣                     水茎岡山城  正面の山