清涼院 (大亀谷五郎太町)

海宝寺から北堀公園への緩やかな坂道をたどると、左手に清涼院があります。
尼寺にふさわしく、山門もなく生垣に囲まれた入口に
真っ赤な百日紅の花が見えます。

清涼院の土地には、元伏見城のお花畑山荘がありました。
伏見城の城主となった家康は、
側室お亀の方を住まわせ、後の尾張藩祖義直となる五郎太丸はここで生まれました。

「後家荒らし」といわれた家康は、石清水八幡宮に詣でた時、
神官の娘で丁度嫁ぎ先から里帰りし、姉の行水を手伝っていたお亀の姿をみつけます。
お亀は姉を盥ごと抱えて隠れますが、その美貌とたくましさにほれ込んだ家康は、
31歳年下のお亀を嫁ぎ先から離縁させて愛妾としました。

むかし「狼谷」と呼ばれていた地名が、お亀の方から「大亀谷」となり、
「五郎太町」も五郎太丸に因みます。
お亀の方の美しさに惚れた秀吉も恋文を送り、今手紙は清涼院の寺宝として残されています。

清涼院から八科峠への清流に沿った北堀公園散策路は、元伏見城外堀の面影を伝えています。

 清涼院境内                          清涼院入口と百日紅(さるすべり)    

          

北堀公園 伏見城濠跡                         北堀公園のせせらぎ