黒田長政下屋敷参考地碑 (大亀谷敦賀町)

北堀公園を抜けると墨染から六地蔵へ通じる峠道へでます。
その三差路の突きあたりに、写真の碑が最近建てられました。

古図には「黒田甲斐守屋敷」と記されていて、黒田長政の下屋敷があり、
黒田如水(官兵衛)は慶長9年(1604)3月20日59歳をもって、ここが終焉の地となりました。

近くには八科峠の古い道標が建っています。
秀吉が伏見城を築いた時、城下への侵入を避けて造られたこの道は、宇治、奈良への要路でありました。

また、碑の後ろには仏国寺があり、そこには小堀遠州の墓があります。
遠州は伏見奉行を勤め、作庭家として名を残すとともに、
小堀流茶道、華道の祖としても知られております。
正保4年(1647)伏見奉行所屋敷で69歳の生涯を終えました。

しかし、その子孫小堀政方は、伏見天明義民の訴えで伏見奉行の職を追われ、改易されています。

八科峠 道標                             八科峠からの展望  

          

仏国寺 本堂                               小堀遠州墓