明智藪 光秀供養塔

この光秀供養塔は、伏見小栗栖の本経寺境内にあります。
天正10年6月2日、光秀は主君信長に謀反を企て、
京都本能寺に宿泊中の信長を襲い、自害させます。

この報せを受けた秀吉は、交戦中の毛利氏と和議を結び、
中国大返しといわれる強行軍で山崎まで大軍を率いて折り返し、
6月13日の夕方天王山で光秀軍と激突しました。

しかし、この戦い敗れた光秀は、夜闇に乗じて勝龍寺城を脱出し、
自分の居城坂本城へ向かいます。
深草大亀谷を越え、小栗栖の藪に差しかかった時、
光秀は落ち武者狩りの土民長兵衛の竹槍に刺され自刃します。

この藪を明智藪と呼び、ここには血の色をした赤い竹の枝が生えるとか、
この竹を切る者は怪我に遭うと言われ、またどこからともなく雄叫びが聞こえてくるなど
いろいろ不気味な伝説が伝えられています。

光秀の首は粟田口の刑場に晒され、
今も三条白川のほとりに光秀の首塚と祠が祀られています。

明智藪碑                          明智藪 小栗栖への道          

             

長岡 勝龍寺城                          白川 明智塚と祠