法金剛院 

 JR花園駅を降りて、道路を隔てた斜め向かいに法金剛院があります。
平安朝の頃、この地には双ケ丘大臣(ならびがおかのおとど)と呼ばれた
清原夏野の山荘があり、
この辺りに咲き乱れる花の美しさから、花園の地名が起こったといわれます。

その後天安寺となったこの地を、
1130年待賢門院璋子は法金剛院として復興いたしました。
往時の寺域は池を囲み広大な面積を有し、
西の阿弥陀堂を初め、南の御堂、東の待賢門院の御所、
三重塔などの伽藍が建ち並び、青女の滝から遣り水の注ぐ庭は
極楽浄土を思わせる壮観な姿でした。

庭園は昭和43年に発掘し、復元されたものですが、
林賢、靜意の作としての資料も残されており、
平安朝庭園の数少ない遺構として、特別名勝に指定されています。

今も花の寺として夏は蓮の花が美しく、
春は待賢門院桜、秋の紅葉も格別の風情があります。
本尊の丈六阿弥陀如来は、藤原期の院覚の作で重文に指定されています。

  法金剛院の表門                       本堂と嵯峨菊       

          

青女の滝                              紅葉の庭園