等持院

花園西陵から妙心寺を通り抜けて、北へしばらく行くと等持院へ出ます。

足利尊氏は、暦応4年(1341)夢窓疎石を開山として
衣笠山の麓に北等持寺を創建しました。
そして尊氏が亡くなると尊氏の廟所となり、法号を取って等持院と名を改めました。。

夢窓疎石の作と伝えられる池泉回遊式庭園は、
西の芙蓉池と、東の心字池から構成されています。
写真の芙蓉池は池全体が蓮の葉の形をし、神仙思想に基づく蓬莱島があります。
築山の向こうには足利義政好みの茶室青漣亭があり、
等持院型灯籠が置かれています。
芙蓉池は青漣亭、書院、方丈の三方どこから見ても正面に眺められます。
東の心字池には、神仙島が浮かび昔観音閣が建っていた礎石が残されています。

作家水上勉は、相国寺の塔頭瑞春院を出て
13歳のときこの寺に小僧として入り、ここから花園中学へ通いました。
直木賞受賞作「雁の寺」の舞台としても知られています。

  清漣亭                           東側 心字池と中島       

          

等持院型燈籠                               西側 芙蓉池