正伝寺 血天井

五山送り火の一つ西賀茂「船山」の麓に、
伏見城の血天井で知られる正伝寺があります。

本堂(方丈)は伏見城の御殿を移したもので、
前の枯山水庭園は小堀遠州の作と伝えられています。
白砂の庭にさつきの植え込みが七五三に置かれ、遠くに比叡山が眺められます。

縁側の血天井には手形の血痕が生々しく残されています。
慶長5年(1600)徳川家康は、伏見城を老将鳥居元忠に預け
会津の上杉景勝征討に向かいます。

7月19日石田三成らは、西軍4万の兵を率いて伏見城を攻撃、
迎え撃つ鳥居元忠らは僅か1800の兵で籠城、奮戦むなしく8月1日伏見城は炎上し、
最後に残った380人の部下と共に自刃しました。
ここで10日ばかり大軍の東上を止めたことが、関ケ原合戦の徳川東軍の勝因となりました。

血の付いた床板が寺の天井に使われ、今も兵士たちの供養がなされています。
最近の血液判定で、これは400年前の人血であることが証明されています。

 比叡山を借景にした枯山水庭園                    血痕生々しい天井          

                     

正伝寺山門                                 参道石段