興聖寺
宇治橋の東袂を川に沿って上流に向かい、
宇治の発電所から流れ出る川を渡ったところに興聖寺があります。
秋には紅葉が美しい本堂へのく坂道は、
横を流れるせせらぎの響きが琴の音を思わせ、琴坂と呼ばれます。
道元は天福元年(1233)深草に日本で最初の曹洞宗のお寺興聖寺を開創しました。
その後荒廃していた興聖寺を、慶安2年(1649)淀城主永井尚政がこの地に再興しました。
古来宇治十二景には、この寺の「春岸の山吹」と「興聖の晩鐘」が取り上げられ、
景勝の地として知られています。
本堂は伏見城の遺構であり、廊下には伏見城の血天井が使われています。
鳥居元忠らの遺骸は戦闘の後、
関ケ原の戦いが終わるまで約2ケ月間放置されていたらしく、
床板に付いた血痕は染みついて洗っても取れず、
それらの板は人が踏まない天井板にすることとして、供養のため各お寺に奉納されました。
京都にはこの他、養源院、桃山の栄春寺、八幡の神応院などにも血天井があります。
伏見城 血天井 庭の紅梅
山門を入ると紅葉の名所琴坂 宇治十二景 興聖の晩鐘