堅田 おとせ桜

浮御堂の手前、民家の間を右手に抜けるとおとせの浜へ出ます。
湖岸に植えられた桜の花と葦のコラボレーションが絵のような趣を見せています。
おとせ桜と呼ばれるように、桜の下には悲しい物語を秘めた「おとせ石」があります。

源平争乱のころ、堅田出身の女性おとせは京都の源氏屋敷に奉公しておりました。
しかし、主家は平家に敗れ京を追われたおとせは
源氏の白旗を守り、大津へ逃れてきます。
遠く故郷堅田の地を望む大津へたどり着いたとき、
平家の侍に見つかり湖に飛び込みますが殺されてしまいました。

おとせの切落とされた片腕は、源氏の白旗を握りしめたままこの浜へ流れ着きます
浜辺の石は地に染まり、おとせの手は息子が指をほどくまで白旗を離さなかったといいます。

おとせ石はおとせの供養として建てられたもので、
後に息子は木曽義仲の武将手塚太郎光盛となったと伝えられています。
この物語は浄瑠璃「源平布引の滝」では、おとせの名を小万として今も語り継がれています。

おとせ桜と水辺の葦

          

                          おとせ浜から見る浮御堂