近衛邸跡 今回 京近江歳時記第100回ということで、 京都の歴史の原点ともいえる京都御苑を訪ねました。 江戸時代、天皇が築地塀に囲まれた京都御所におられたとき、 今緑と白砂の広がる御苑には公家達のお屋敷が約200軒建ち並んでいました。 明治天皇が東京へ遷都され、お公家さんも殆どが東京へ移られました。 その後、明治天皇は荒れ果てた公家町を見て整備を命じられ、 現在の公園の姿となりました。 五摂家の一つ近衛邸の跡は、御苑の東北にあり 春に先駆けて咲く糸桜と古色を帯びた池に昔がしのばれます。 孝明天皇は「昔より名には聞けども今日見れば むべ目かりせむ糸桜かな」と詠んでおられます。 第2次世界大戦中の首相を務め、戦後自殺した近衛文麿や 指揮者として知られた弟秀麿などが思い出されます。 薩摩藩の篤姫も将軍徳川家定へ嫁ぐ前にここを訪れ、近衛家の養女となりました。 |
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近衛邸跡の碑 |
近衛邸の池 |
糸桜 |
屋敷跡の桜 |