姉川古戦場

 姉川に架かる野村橋の北詰に姉川古戦場の大きな看板が立ち、
そのそばに姉川合戦戦没者の碑があります。

元亀元年(1570)4月、信長が越前の朝倉義景を攻めたとき、
信長の妹、お市の婿である浅井長政は信長を裏切り、越前金ヶ崎に信長を挟撃しました。

このことに端を発し同年6月28日、
姉川を挟んで南に復讐を挑む織田信長、徳川家康連合軍2万8千、
北にこれを迎え撃つ浅井久政、朝倉景健1万8千の両軍が陣を構えました。

戦は未明から始まり、ここ野村橋のあたりで織田と浅井軍が激突、
少し下流の血原では徳川と朝倉軍が戦い、午後2時時ころには織田、徳川方の勝利に終わります。

信長の書面に「野も田畠も死骸ばかりにて候」とあるように、両軍の死者は2万5千を数え、
この辺りには今もその惨状をとどめる血原、血川の地名が残されています。

 
姉川合戦戦没者碑 野村橋畔   血原公園 姉川古戦場碑
   
 姉川    姉川合戦看板