実宰院

 野村橋の北、平塚という小さな集落に、
浅井長政の姉昌安見久尼が住まいした実宰院というお寺があります。

姉川の合戦から3年後、天正元年(1573)9月1日信長によって小谷城は落城し、
浅井久政、長政父子は自刃しました。
落城を前にして長政は、妻お市と茶々、初、江ら3人の娘を古い野良着姿にして、
密かにお城から逃れさせ、姉のお寺に託します。
大柄な昌安見久尼は、残党狩りに来た信長軍勢に、娘3人を法衣の中に隠して難を逃れ、
しばらくはここで養育されたと伝えられています。

その後の3姉妹については、長女茶々は秀吉の寵愛を受け、秀頼の母となり、
次女お初は京極高次に、3女お江は徳川秀忠に嫁ぎ、
それぞれがまさに波乱に満ちた人生を送ることになりました。

 
 実宰院 入口 実宰院 本堂 
   
 小谷城址からの展望 徳勝寺  浅井長政 亮政 久政墓