西教寺 手白の猿

坂本の西教寺は元延暦寺に属しておりましたが、
文明18年(1486)比叡山で修業を終えた真盛上人が入寺し、
不断念仏の道場として独立しました。
今は天台真盛宗総本山として、全国に400余の末寺を有します。 

室町時代に坂本で徳政一揆が起こり、
それの首謀者が真盛上人であると誤解した比叡山の僧兵が西教寺に攻め込みました。
寺の僧達は逃げ出し、誰もいない本堂から鉦の音が聞こえてきてきました。
堂内には手白の猿が念仏を唱えている姿があり、
猿までも帰依する真盛上人の徳に僧兵もそのまま立ち去りました。

寺を護った猿は「護猿」(ごえん)として、縁がござる、福がござるとして親しまれています。
本堂に置かれた手白の猿は写真に撮れませんが、
本堂の屋根、塔頭の屋根には瓦の猿があちらこちらに見られ、
鐘楼の四面にも木彫りの猿がおります。

 
  西教寺 本堂  鐘楼
   
 鐘楼 木彫り猿  坂本 鶴屋益満 猿の最中