撞かずの鐘 (報恩寺)

昔西陣の「八半」という機屋で、丁稚と織女(おへこ)が
報恩寺で撞かれる夕べの鐘は幾つ鳴るかで争いました。

職人たちにとっては朝の鐘で仕事が始まり、
夕べの鐘は仕事の終わりを告げる待ち遠しい鐘なのです。

丁稚は八つ、織子は九つと言い張ります。
本当はいつも九つ撞かれるのですが、丁稚は寺男に今夕の鐘は八つにしてくれと頼み、
その日の鐘は八つしか鳴りませんでした。
丁稚は織子にやっぱり八つだったと激しくいじめたため、
織子は鐘楼に帯をかけ首を吊って死んでしまいました。

それ以降この鐘は撞かれなくなったといいます。
今は除夜の時にだけ撞かれています。

黒田官兵衛の息子黒田長政は、元和9年(1623)報恩寺の客殿で病死しました。

 撞かずの鐘(平安・重文)                          報恩寺 境内

             

報恩寺 山門                                     報恩寺前の西陣織屋