宮道神社 玉の輿列子

仏光院の南隣に平安時代に創建された宮道(みやじ)神社があります。
宮道家の祖神とともに、宮道弥益、列子、藤原高藤、定方、胤子も併せ祀られています。

平安時代、藤原冬嗣の孫高藤は、この地へ狩りに来て激しい雨に遭って
郡の長官宮道弥益の家に立ち寄り、そこの娘列子(たまこ)を見初めて一夜を共にします。

6年後に再び宮道家を訪れた高藤は、6歳になっていた我が子胤子(たねこ)を見て、
母列子とともに都へ連れて帰ります。

後に胤子は宇多天皇に嫁ぎ、生まれた皇子は醍醐天皇になります。
列子は醍醐天皇の祖母となり、予期せぬ良縁「玉の輿」の言葉はここから生まれました。
列子の墓は、宮道神社から北へ歩いて約20分、小さなお社の中臣神社近くにあります。

宮道神社境内には高藤と列子の息子、三条右大臣定方の歌碑があります。
「なにし負はば逢坂山のさねかずら 人に知られでくるよしもがな」

宮道列子墓地 古墳                    列子墓石(平成19年建立)

              

三条右大臣定方の歌碑                           中臣神社