歓喜光寺

山科の東、醍醐山並みの北麓に抱かれて、時宗六條派の本山歓喜光寺があります。
このお寺の歴史は古く、鎌倉時代の正応4年(1291)京都の八幡に、
一遍上人の従弟聖戒上人によって善導寺として創建されました。

その後、六條源融邸址に移り歓喜光寺と改めます。
天正年間、秀吉の都市計画で四条寺町の地へ、、
さらに明治40年東山五条への移転を経て、昭和50年この地に落ち着きました。
歓喜光寺の寺町の境内にあった天神社は、今錦天満宮として新京極に残されています。

東山は鳥辺野の入り口であり、そこから移された480体の地蔵が境内に並んでいます。
大日尊の石像は大正10年に日露戦争の英霊を供養し建立されました。

一遍上人は、それまで貴族だけのものであった仏教を、
念仏を唱えながらぼろぼろの衣をまとい、全国を廻り大衆に布教しました。
今神奈川の清浄光寺に保存されている、
鎌倉時代の国宝「一遍上人絵伝」はもとこのお寺にありました。

歓喜光寺 山門                             静寂な境内   

           

           石仏群                          大日尊 碑の文字は富岡鉄斎書