法然上人御廟

御影堂の横を裏手に廻り、山手への石段を上がると法然上人御廟があります
この辺りは法然上人終焉の地、そして知恩院発祥の聖地でもあります。

法然は美作国に生まれ幼名を勢至丸と呼び、15歳で比叡山に入り天台宗を学びます。
43歳の春に山を降り、「南無阿弥陀仏」を唱えることで救われるという「専修念仏」の教えを民衆に広め、
この地において浄土宗を開きました。
法然は旧仏教からの迫害や、建永の法難で四国へ流されたこともありましたが、
許されて帰京した翌建暦2年(1212)正月、ここ勢至堂の場所において80歳で入寂しました。

文暦元年(1234)法然の弟子源智は、この地に法然の遺骨を納め、
仏殿、御影堂を建てて法然を開山第1世とした知恩院大谷寺を開きます。

勢至堂は享禄3年(1530)に再建された知恩院最古の建物で、
下の御影堂が建つまではここに法然の御影が祀られていました。
裏手の墓地に千姫の墓があります。

    法然御廟                               勢至堂(重文)

          

千姫墓                          勢至堂への入り口