瑞龍寺 山門

ロープウェーの山頂駅辺りが、二の丸跡で
木立の間から城の石垣が見られます。
本丸への道をたどると、村雲御所瑞龍寺の碑が建ち、
本丸跡の苔蒸した石垣に城の歴史が感じられます。

石垣に続いて瑞龍寺の山門があり、
昔の城の入り口である虎口の姿をとどめています。

天正19年(1591)秀次は秀吉の養嗣子となり、関白に就任しました。
文禄2年(1593)淀殿に秀頼が誕生すると、秀次は後継を巡っての不安から、
自暴自棄となり不審な行動が指摘されます。
文禄4年(1595)秀吉から謀反の疑いをかけられて、
秀次は高野山に追われ28歳で自害しました。

秀次の妻妾、幼児ら39名も三条河原で斬殺されました。
そしてこの年、八幡山城も秀次の残影を残す城として、
築城10年にして破却されました。
                      

村雲御所の碑と本丸石垣                              本丸石垣 

            

二の丸石垣                                瑞龍寺への道